広瀬 宗一(工学博士、M.Sc.)
故高坂正堯・京都大学教授から、日本人の思考には「時間軸がない」と聞いたことがある。考えてみれば、日本人にとっては現在が特別に重要な時間帯であり、「現在」を時間軸上で幅をもって捉える。このため、「現在」の時間帯で起こる急激な変化、たとえば過去に発生したオイルショックなどに対しては、「現在」の時間幅の中でよく見えるため、極めてうまく対応できたと評価されている。また、日本人は何に対しても一気呵成に対応するため、遅れを取り戻すことが比較的上手と言われることがあるが、これも時間幅をもって現在を捉えることができるため、どのように対応するのがもっとも妥当か、どのように対応すればどうなるかがよく見えるからではないかと思われる。見方を変えれば、熱しやすく冷めやすく、早く結果が出ることを求める国民であるとも言える。反面、グローバル化や地球温暖化などのように、ゆっくりと変化している事象に対する対応は苦手なように感じる。現在という短い時間幅の中ではこうしたゆっくりとした変化はよく見えないからである。
一方の欧米人の思考には、日本人にはない長い時間軸があるように感じる。すなわち、「過去があって、現在があり、現在があって、将来がある」といったふうに、時間軸の上で「現在」を捉える。すなわち、現在だけが特別な時間帯ではなく、現在を将来のための通過点として捉えている。このように、「現在」は時間軸上の点でしかないため、現在起こっていることに一喜一憂せず、より着実に進行している大きなゆっくりとした社会変化を捉え、将来のために今何をすべきかを考える。このため、欧米人の思考では、現時点で発生している急激な変化への対応は下手かもしれないが、一方ではグローバル化などへの対応は我が国に比べて、より戦略的であり、大きな間違いを犯す危険性は少なくなる。マーストリヒト条約にもとづくEU統合やISO(国際標準化機構)による技術分野の国際標準化によるイニシアティブの確保などにみられる戦略はその代表と考えられる。これらは、時間軸上で将来を考察し、自分達の未来を積極的に創って行こうとする壮大な戦略と捉えることも出来るのではないだろうか。
我が国は、歴史認識がないと海外からよく批判される。これも思考において時間軸を明確に認識しにくい国民性によるものではないかと考えられる。正しい歴史認識がないと、失言もしてしまうだろうし、諸外国との対等な交渉もできない。我が国の組織のリーダーが世界のトップになるためには、こうした時間軸思考による正しい歴史認識をできることが必要条件になるのではないかと考えられる。こうした条件を満足しなければ、最悪の場合、時間の経過(忘却)を待つことが最良の選択肢となってしまう。
グローバルな変化への国家としての対応は、時間軸上で考えてなされないと国民を不幸に陥れることがある。1985年にプラザ合意があり、急速に円高が進み、これが我が国のバブル崩壊に拍車をかけることとなった。原材料を輸入して製品を輸出する加工立国として生きてきた我が国にとって大きな痛手を被ることとなった。プラザ合意は米国のグローバル戦略だったと言われるが、政策合意の前に我が国における何らかのセーフティネットの構築や国家戦略及び具体の政策があれば、バブル経済を修正し、将来に大きなツケを残さない長期的な道筋が描けていたかもしれない。
そういえば、「湯蛙」の話を聞いたことがある。釜に水とともに「蛙」を入れ、ゆっくりとお湯を沸かした場合と、熱湯を入れたお湯の中に「蛙」を入れた場合のどちらの方が「蛙」が生き延びるかとの問いである。答えは後者である。水に入った蛙は徐々に暖かくなり、結果として気持ちよくなって眠ってしまい、熱湯の中で死んでしまうのに対し、熱湯に入れた蛙は熱くて跳び出し、生き延びるというのである。この「湯蛙」の話は、ゆっくりとした変化の中で安住しているととんでもないことが起こるとの喩えとしてよく用いられる。これは、時間軸思考が苦手な日本人に対する戒めとも捉えることができる。
最近、我が国の政策について国家としての戦略性がないと批判する向きも多い。最近の世の中の動きは複雑であり、かつグローバルであるため、時間軸思考が苦手な国民性から長期戦略を描きにくくしているのではないかと危惧している。たとえば、公共政策の立案においても需要予測から得られる数値だけを根拠にしているケースが多いが、この数値は過去から現在に至る指標の変化をもとにしたあくまでも予測値でしかない。また、需要は国の政策によって変化するものである。あまりにも客観性を求めすぎるために予測値だけを頼りに政策が決定されてしまう傾向がみられるほか、残念ながら需要予測が当たっていないことを批判する評論家的識者も数多い。予測に用いる指標の数値はあくまで数値でしかなく、社会の動きのすべてを表すものではない。また、現在の世の中の動きは、過去の動きだけで外挿できるほど単純なものではない。ましてや何十年も先の将来など数値だけで精度高く予測することは困難であろう。予測値は、あくまでも参考値であり、時点時点で修正されるべきものである。また、自然現象の多くは線形モデルで説明できるかもしれないが、人間の行動や社会の変化は極めて非線形性が強い。 社会科学の分野では、時系列分析手法の一つとしてBox-Jenkinsモデル(移動平均と自己回帰の統合モデル)のように現在に近い過去のデータほど大きなウェイトを付けた非線形モデルで随時短期予測の修正を行うものもある。この手法は、将来の予測値の統計的信頼性を高めることを意図した単なる時系列分析手法でしかないが、時間軸思考をしないとこうしたモデルの発想は生まれてきにくい。ちなみに、このモデルは米国の連邦航空局やエアラインで標準的に用いられている。
首都高速は当初片側二車線で造られた。予算の制約や東京オリンピック開催のための工期の制約があったのかもしれないが、現時点で考えれば少なくとも倍の車線数があったとしても十分とは言い難いのではないだろうか。我が国では、需要に満たないインフラ整備を批判する傾向が強いが、予測を大きく上回って需要増をもたらした不十分なインフラ整備により生じることとなった社会経済損失には批判が及ばない。これは、時間軸思考を伴わない需要追随型のインフラ整備を良しとする我が国固有の国民性故ではないかと思われる。グローバルに、しかも過去、現在、及び未来の時間軸上の変化をよくみて需要誘導型の戦略的でかつ力強い政策を作り出し、その上で国家運営を行っていかないと後追いによる無駄使いや大きな経済損失につながりかねない。
我が国では少子高齢化が大きな問題となりつつある。働き手が少なくなり、税収が少なくなる一方で、社会保障費や医療費の増大が懸念されている。しかし、地球上で起こっていることに目を転じてみると、人口はどんどん増大する、環境破壊や地球温暖化が進む、食料や資源の枯渇が進む、企業活動のグローバル化が進む、国際協調・国際競争が進展する、災害が大規模化するといったことが大きな問題になりつつある。今や、こうした地球規模の変化がシナリオとして組み込まれていない政策は我が国を間違った方向に導きかねないのではないか。これまでに経験したことがないほど、世界の社会経済環境が大きくかつ多様に変化するこの時代にあって、今こそ欧米人の時間軸思考に学び、目先の変化・利害得失にとらわれず、グローバルな視点で、改めて国家としての21世紀戦略を構築することが求められている。