[SCOPE] 財団法人 港湾空港建設技術サービスセンター

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SCOPE技術者からのメッセージ

SCOPE技術者からのメッセージ

「足し算思考」の積極政策で明るい未来の創造を目指す

広瀬 宗一(工学博士、M.Sc.)

欧米に旅行された方なら気づいておられるかもしれないが、たとえば日本と米国ではおつりの計算の仕方がまったく逆である。米国では、たとえば、80ドル20セントのある商品を買う場合を考える。お客が100ドル紙幣を支払ったとして、店員は、まず品物を渡したあと、10セントコインを順に8個出し、80ドル30セント、40セント、・・・と、81ドルまでカウントする。続いて、1ドル紙幣で、82ドル、・・・85ドルとカウントし、さらに5ドル紙幣を1枚出して90ドル、最後に10ドル紙幣を加えて100ドルといったふうに、商品の値段に対して支払った金額に達するまで足し算で計算をしながらおつりを支払う。日本人が暗算で引き算をしておつりを支払うのと比べると大きな違いである。考えてみると足し算で計算をした方が計算間違いをしにくい。最近はコンピュータで計算されることから、思考形態はよく見えなくなってきたが、欧米との思考形態の違いを考える上で興味ある現実である。

米国の足し算思考と我が国の引き算思考の違いは、ひょっとして狩猟民族と農耕民族の違いから生まれてきているのかも知れない。農耕民族は、お天気次第の「待ちの消極思考」を優先し、かつ組織(村社会)で実りを待つ「定住志向」であるのに対し、狩猟民族は獣を求めて移住する個人重視の「積極思考」が基本にあるようである。日本人はオリンピックなどの正念場で負けてしまうことが多いように感じているが、これが事実とすれば、まず先にマイナス面を考えてしまう農耕民族故の消極思考が原因かも知れない。

日本人は、幹を枯れないように大事に扱い、枝葉を変える方向での政策を優先する傾向がある。これも一種の引き算思考で、マイナス思考が優先する農耕民族の特性故ではないかと考えている。また、何かにつけて一律の改革が行われる傾向にあるが、メリハリをつけないこうした「一律の改革」は、我が国固有の「痛み分けの考え方」が根本にあると考えられる。こうした一律の改革は、進めるのに容易だが、結果として我が国にとって大事なものを失うことになるかもしれないし、取り戻しが効かない国家の停滞や気づかないところで組織破壊を生む危険性も同時に孕んでいる。一律の改革の結果、国家としての停滞を招けばそれを取り戻すことは容易ではない。

我が国の経済は「いざなぎ超え」と言われるほど上向いているらしいが、モノの値段が下がり、給料も上がるどころか、逆に下がっている。こうした実態は引き算思考の政策によってもたらされているものではないだろうか。このように、給料も下がり、モノの値段が下がるといった事態は、グローバル化による価格競争の激化の流れに乗ってしまった結果、雇用形態の多様化や、高齢者から新卒者への人的資源の切り替えによる支出の抑制に向かうことによってもたらされているように思える。技術者を育成し、その技術力によって高品質を維持し、かつモノの価格を下げるといった王道の経営から徐々に遠ざかりつつあるとすれば残念なことである。人と技術の重視、技術者の処遇改善について、国が足し算思考の強力な政策によって主導していかないと現在の萎縮の流れは改善されないのではないだろうか。このまま放置しておくと、人とモノのジャパン・ブランドがなくなりかねない。

日本人が得意な引き算思考の消極的な政策は、積極的な政策に比べて新たなものを生みにくいし、国民が目標とする国家の方向性が見えにくい。グローバル化が進展する中、国内情勢だけしか見ない引き算思考による小出しの政策よりも、足し算思考の積極的な政策への転換が求められていると考えている。引き算思考の消極的な政策は、将棋崩しや砂取りゲームのように、結果を予測しにくく、また、構造物の設計で安全率を「ケチる」のと同じようなもので、長期的にみれば大きな失敗を生みやすいのではないだろうか。

以前に読んだオーストラリアのある論文によると、日本人は先進国の中で税金が増えることをもっとも嫌う国民性を有しているらしい。特に最近の日本人は、国家の利益よりも自分の利益を重視する傾向があるように見える。これも、引き算思考の政策に偏った結果、国家の利益と国民の利益の間に背反性がみられるようになっているからではないだろうか。また、国民と政治を結びつけるものがなくなり、両者の意識の乖離が大きくなっているのではないかと危惧している。

我が国では、財政赤字がふくらみ、財政再建を目的に、支出の抑制、税制の改正が行われつつある。これも言ってみれば引き算思考の政策である。大きな財政赤字の修復は国家の最重要課題であり、支出の抑制も必要だろうが、すべてがこうした引き算思考の政策になってしまうと、国家が萎縮してしまいかねない。無駄な支出の抑制は当然であるが、一方で時代の変化を考えれば21世紀型の新たな税制の構築に向けた抜本的な改革は必須であり、加えて足し算思考の多様な国土政策との相乗効果により、国家や経済の活性化を目指すことも我が国の財政再建のための一つの方向性として考えてみる必要があるのではないだろうか。

米国のブッシュ大統領は、財政が厳しい中、減税を行うとともに、連邦航空局の空港整備予算を2001年から前年度に比べて約4割も増やした。その代わり、主要空港にはAIP(空港改善計画)の作成、国によるその承認が義務づけられることとなった。米国で行われた減税政策は、経済の活性化を期待した積極思考によるものと考えることができる。空港整備予算の増額は、航空機の遅れが日常的となっている当時の全米の空港の現状、空港整備がもたらしてきた経済効果、将来の世界人口の増大傾向などを見通し、かつ福祉予算との対比において決断された正に国策といえるものである。現在、米国経済はサブプライム問題で大きく揺れているため、当時のブッシュ大統領の政策が必ずしもすべてが成功したとも言えないかも知れないが、我が国で展開されているマイナス思考の政策との間には大きな違いがあるように感じる。

米国で連邦航空局の空港予算を増やすにあたっては、福祉予算への影響を懸念する国民の声を背景に二年間にわたる国を挙げた議論があったことは記憶に新しい。この議論には政治家、中央政府、地方政府、エアライン、土木学会、会計検査院、大学の学識者など、多くの関係者の参加があった。我が国においても、こうした諸外国でのさまざまな動きの実態をよく知り、また将来を見据えたこうした大きな議論が望まれる。

「民でできることは民で」はわかりやすい言葉であり、あまりにも常識的であるため、これに反対する人はいないだろう。しかしながら、実際にこれを実行することはそれほど簡単なことではない。MIT(米国・マサチューセッツ工科大学)の教授が空港の民営化問題に関する論文で述べているように、民営化は非常に複雑な概念であり、資金調達を行うこと、施設を保有すること、経営すること、管理することなど、さまざまな要素を含んでいる。したがって、民営化を検討する場合には、「現在どういう実態になっていて何が問題なのか」「どのような民営化の形態を志向するか」がまず重要であり、このために、民営化によって「どのような世の中を目指しているのか」「どのような効果を期待するか」「公共サービスのレベルの維持をどのように考えるのか」「公共部門の関与度合いをどのように考えるか」などといった具体的な政策理念についての説明がなされなければ国民には理解しにくいのではないだろうか。

米国では、空港民営化の議論が大きく展開され、賛否両論があったが、結局、空港関連業務の相当部分が既に民間委託されているとの判断のもと、結果として「民営化」する意味はないとの決断がなされた。我が国では、「財政再建」を旗印に民営化が目的化しているような気がしているが、民営化が目的化してしまうと、公共サービスのレベルの維持や新たなものを生むことに対して目が向きにくくなってしまうのではないか。小さな政府を目指して公共セクターを小さくするだけの引き算思考ばかりでなく、新たなものを生み出す足し算思考も合わせた政策がないと国家として目指している姿が見えにくい。

グローバル化への対応のように、大きな社会経済変化に対しては、政策の総動員が求められると考えている。大きな方針に支えられた幹となる政策の回りに、それを支える中規模な政策から小規模な政策まで含めた総合的で、互いに補完しあう政策が求められる。足し算思考でないと、こうした骨太でかつ総合的な政策は生まれにくい。税制、年金、医療といった国の基本を形成する仕組みが揺らぎつつある今こそ、将来の国の姿や国として目指すべき目標について、産学官一体となった議論を展開し、国民が納得する形で示すことが必要である。また、引き算思考による消極的な政策だけでは現在の萎縮しつつある社会情勢を改善することは難しいのではないだろうか。夢の持てる明るい未来が展望できるように、時間軸思考と合わせた戦略的で積極的な政策展開が求められている。

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