客員研究員 大本俊彦(京都大学経営管理大学院 客員教授)
まず冒頭で日本の読者では決して想像出来ない英国の建設契約条項を紹介する。
「発注者、コントラクター、プロジェクト・マネジャー(※1)及び監督者(※2)は本契約条件書に規定されている通り、そして相互信頼と協働の精神を持って、行動すること。」(※3)(アンダー・ラインは筆者による。)
これは英国で近年急速に普及し始めている建設工事の契約条件書、NEC(New Engineering Contract)の第1条の契約文言である。 この条項の精神を実現させるためにNECでは様々な工夫が凝らされており、パートナリング(※4)に向いた契約条件書と考えられている。
それではNECを概観するために、従来の契約約款のおさらいをしておこう。
ICE(※5)(英国土木学会)はCECA(※6)(土木業者協会)の協力を受けて、1945年にICE契約条件書(※7)の第1版を発行した。第2版以降はCECA及びACE(※8)(英国コンサルティング・エンジニア協会)の協力を得て、1999年には第7版を発行するに至り、公共工事全般に広く用いられてきた。この契約条件書の最大の特徴は第3者的立場から契約と工事の監理をするエンジニアの存在である。この契約監理構造はFIDIC(※9)にも採用され、いわゆる “FIDIC Red Book(※10)”は1957年以降国際工事にひろく用いられてきた。
我々が国際工事(海外工事)で経験してきたFIDICの契約監理構造は対立の(adversarial)文化に根差した商取引を想定している。現場で問題が起っても最大の関心事は「だれの責任か」である。日本のコントラクターは往々にして、責任の所在は後の話として、まず、問題を技術的に解決する態度を示す。この実践は発注者とエンジニアに喜んで受け入れられるが、追加コストの支払いや遅延の責任回避はクレームという契約手続きによって戦わなければ獲得することは出来ない。このようなビジネスは日本人にとって一般的には不得手である。
1970~80年代の英国の建設産業では公共、民間を問わず、建設契約に関わる追加費用と工期遅延を巡って仲裁や訴訟が蔓延していた。このような状況に対して、政府を含む建設産業が何をすべきかを検討することを託されたレーサム卿(※11)は、このときの建設産業の問題を、「非効率(ineffective)」「敵対的(adversarial)」、「関係者がばらばら(fragmented)」、「完成物を手渡す能力の無さ(incapable of delivering for its customers)」と記述した。そして提唱したのが、「チームを造る(Constructing the Team(※12))(1994)」である。このレポートの詳しい説明は脚注のウェブサイトに譲るが、その中で卿は当時すでに実験版として発行されていたNECをもっと普及させるべきであり、パートナリングを採用すべきであると提唱している。
レーサムレポート以降、NECは急速に普及し、公共調達、とくに道路建設には広く利用されている。また、ロンドンオリンピックの様々な建設工事はすべてこの契約条件書を用いて行われ、結果として工事の遅延や仲裁等に発展する紛争がほとんど発生しなかったと報告されている。ICEはついに2011年8月にICE契約条件書の版権をCECAとACEに譲り実質上、この条件書は発行されなくなった。代わりに、ICEはNECを標準契約条件書として発行する。英国政府調達事務所はすべての建設工事公共調達においてNECを用いることを推奨している。
NECは次の3つの目的を果たすために作られた。
1.柔軟性
▢ 伝統的な土木・建築・機械・電気等の分野の建設工事に適用できる。
▢ コントラクターが設計義務のすべてを負う場合・一部を負う場合・まったく負わない場合のいづれにも適用できる。
▢ 各種の契約形態(競争入札、ターゲット・プライス契約、コスト・プラス・フィー契約、マネジメント契約等)に適用できる。
▢ 英国内でも他国においても適用できる。
2.明瞭性と簡明性
▢ NECは勿論法的図書ではあるが、他の契約条件書のように法律文言を用いず、普通の用語を用いている。これによって法律の専門家でなくてもまた英語が母国語でない人たちでも契約を容易に理解することができる。しかし、紛争解決や保険分野に関する条項では専門用語を維持している。
▢ 条項の数を出来るだけ少なくしている。
▢ 文章は出来るだけ短く、また箇条書きを用いている。
3.適切なプロジェクト管理の推進
▢ これが最も重要な目的であるが、契約上のすべての手続きは有効なプロジェクト・マネジメントを推進する手助けをする。
▢ 当事者が協力して先を読むというプロジェクト・マネジメントは、問題やリスクの軽減に非常に役立つ。
以上のようなNECの目的が現実のプロジェクトで実現されていることが徐々に証明されつつある。
さて次回から数回にわたり、NECの構成や使用の仕方について概観する。
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※1 従来の契約約款における「エンジニア」にあたる。
※2 プロジェクト・マネジャーの指揮下でコントラクターの施工監理を行う。
※3 “The Employer, the Contractor, the Project Manager and the Supervisor shall act as stated in this contract and in a spirit of mutual trust and co-operation.”(アンダー・ラインは筆者による。)
※4 パートナリングの概念は、(社)海外建設協会、鹿島出版、「PARTNERING-海外に学ぶ建設業のパートナリングの実態」に詳しい。
※5 The Institution of Civil Engineers
※6 CECA: the Civil Engineering Contractors Association
※7 ICE Conditions of Contract for use in connection with Works of Civil Engineering Construction
※8 ACE: the Association for Consultancy and Engineering
※9 Fédération Internationale des Ingénieurs Counseils (International Federation of Consulting Engineers)
※10 Conditions of Contract for Works of Civil Engineering Construction
※11 Sir Michael Latham
※12 http://products.ihs.com/cis/Doc.aspx?DocNum=84343