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コラム

第3回 「建設契約紛争とその解決(3)」    ~2016.12.26~

理事 大本俊彦(京都大学経営管理大学院 特命教授)

標準契約約款の歴史のプロローグ

 前回、標準契約約款の歴史に触れたが、今回はその歴史のプロローグともいうべき事件について述べる。
 日本の建設契約の歴史において、発注者と請負者の関係および日本人の契約に対する対応の仕方を象徴的に表している重要な事件として、「名古屋鎮台兵営建築増費請求事件」を挙げるべきであろう。岩崎によれば事件の経緯を以下のように整理できる※1)。
 竹中工務店の創始者である竹中藤右衛門と岩本丈太郎は、明治8年(1874年)陸軍省を相手取って裁判に訴えた。理由は、共同で請負った兵営8棟他の建築請負に関する追加、変更工事に対する代金の不払いである。施工は突貫工事であり、膨大な量の設計変更、追加工事が指示された。また、インフレーションで物価は高騰していた。これらに伴う増加費用は、工事落成後に精算するという口頭約束であった。工事完成に伴い竹中らは増加費用調書を提出するよう求められた。陸軍の担当係官により調書のチェックが行われ○と△のしるしを付けられ、○印の分のみを抜き出して差し出すよう再度指示された。そして様々なやり取りの後陸軍省は最終的に全面拒否をする。拒否の理由は、請負は請書の約定金額で完成すべきものであること、増費支払いの特約はないというものである。(ただし、理由のあるものについては値引きを命じている。)しかもその時の係官は、典型的な官僚的論理を用いて、請負者が施主の慈悲にすがるならまだしも、あたかも権利のように要求するのはもってのほかである、「増費は全て完成後に決算する」旨通知があったなどということは、実に嘘をつくのも甚だしいと言っている。(竹中藤右衛門は関西で技術と信用を売り、嘘、偽りで金を儲けるような人物ではなかった※2)。
 明治 10年3月28日、東京上等裁判所は原告敗訴の判決を下した。理由は、1)陸軍省係官が増費は完成後に精算するから明細を提出するようにと指示した証拠がない、2)増加工事について他日精算する費額があれば、その旨の記載或いはその契約の証しを取るべきである、この付記なく、また契約の証がないところから、請求すべき費用がないと理解すべきである。大審院へ上告したが、棄却された。この契約当時、官庁の建設工事は直傭労務で行うか、いわゆる人夫出しによって賄われていた。竹中らが一括定額請負の意味を知らなかったのは当然であり、とにかく指示通りに工事をし、後は約束通りに支払ってもらえると考えていても不思議はない。
 この事件を契機に施主、請負人の関係は以前にもまして片務的になり、権利の主張ではなく、お願いによって追加費用の獲得をするほかはないという風潮が広まった。この影響は多かれ少なかれ今日にまで及んでいる。この事件はこの20年後に民法典が策定されるまで、判例として大きな影響をもった。この判例の打ちたてたことは、1)契約に基づかない口頭による指示は法的に有効ではない、2)工事に変更や追加があっても、契約金額は変更の特約がなければ変更されない、ということであった。
 この事件は、我が国の近代建設請負を考察するときに取り上げなければならない「請負の片務性」を語る貴重な訴訟事件である※3)。現在に至るまで日本の公共工事において、建設業者の増費を理由とする訴訟が皆無に近いのは、この件があるためであり、建設工事紛争が一般化しなかった一つの原因となった重要な事件と考えられる※4)。
 建設契約において発注者と請負者が対等な立場に立って契約管理を進めていくという商慣習が育たず、お願いで帳尻を合わせていくことで育った日本の請負業者が海外において長らく苦戦してきた原因の一つがここにあるようである。

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※1)岩崎 脩:建築工事請負契約の研究、1987、改訂増補版、1993

※2)前出岩崎による。竹中藤右衛門はこれ以降、官庁工事は一切やらないと決めたそうである。

※3)前出岩崎による。

※4)岩松 準、建築コスト遊学、No.11、建築コスト研究所、2010 AUTUMN

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