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コラム

第2回 「建設契約紛争とその解決(2)」    ~2016.10.6~

客員研究員 大本俊彦(京都大学経営管理大学院 特命教授)

標準契約約款の歴史

 ここで上述のような標準契約約款の歴史を知っておくことも今日の契約を考える上で無駄ではないと筆者は考える。

(1) 国内の標準契約約款

(a) 民間(旧四会)連合協定工事請負契約約款
 建設請負契約約款の歴史は、明治44年1月31日開催の建築学會通常総会において議案として上程された建築請負契約書案に遡る。建築学會は同年12月、「建築雑誌」300号で「建築請負契約書並びに工事請負規定」として正式に公表された※1) 。当時の英国で普及していたRIBA※2)を手本とはしたが、契約は双務的であり、契約当事者は対等な立場に立つという基本理念に対して似ても似つかないものであった。すなわち、請負者は発注者に雇われた強力な権力を持つ監督員に見張られるべきものとして位置づけられ、また非常に片務的契約内容であった。例えば請負者は設計者の準備した図面や仕様書の誤り、矛盾等について全ての責任を負わなければならない。また、発注者は請負者の契約不履行に関し損害賠償を請求できるのに、請負者は発注者の都合によって契約が解除されても何の保証もないというようなものであった。
 このような状況の下で発注者と請負者の間の片務性を改善すべく多大な努力がなされた。明治44年9月「建築業協會」が発足した。協会は先に建築学會が公表した請負契約書に反対し、代替案の作成に邁進した。建築学會制定約款から4年を経過した大正3年「建築工事請負契約書及び請負規定」を発表した。
 その後「建築學會※3)」、「建築業協會※4)」、「日本建築協會※5)」及び「日本建築士會※6)」の4団体は共同で大正12年8月に「四会連合協定」を完成させた。これが後の「四会連合協定・工事請負契約約款」の原型である。
(b) 公共工事請負契約約款
 明治初期に商業請負が勃興してから、民間では50年という歳月を費やして標準的な請負契約約款を完成させている一方、中央官庁、地方自治体の発注する公共工事に適用すべき約款の制定は第2次大戦後までまたなければならない。戦火によって灰燼に帰した東京や大阪の大都市では戦後2年目になると一大建築ブームとなり建設業者の数も数十万を数えるようになる。当然のことながら、その大部分は技術も商業倫理も持ち合わせていず、ときの政府は不適格業者の排除と施工品質の確保を目的とした法律の必要性を痛感した。昭和24年に建設業の許可・登録を規定する「建設業法」を制定している。一方増大する公共工事調達の為に「中央建設審議会※7)」に公共工事に適用すべき契約約款の策定を諮問した。
 中央建設審議会は昭和25 年2月、建設業法に基づいて建設工事標準請負契約約款(昭和47年改正により「公共工事標準請負契約約款」と改称された)を決定勧告した。本約款は前述の四会連合約款、物価庁作成の官庁工事請負標準契約書案並びに米国における標準請負契約書を参考として作成されたと言われる※8)。
 公共工事標準請負契約約款は昭和25年の決定・発効よりこれまで14回の改正が行われているが、大きな改正が平成7年、平成22年に行われている。平成7年の改正はWTO調達を含む国際化を加味した制度の見直しや工事完成保証人の廃止を骨子とするものである。平成22年の改正は契約当事者間の対等性を確保するという名目で1)約款中の呼称を「甲」・「乙」から「発注者」・「受注者」に変更された、2)工期延長に伴う費用増について、発注者に帰責事由がある場合(受注者に帰責事由がない場合ではない※9))には発注者が費用を負担する旨の規定が追加された等が主な内容である。

(2) FIDIC条件書

 産業革命に伴い英国では若い土木技術者(Civil Engineers)が社会的ステータスや技術力の向上を目的として1818年に英国土木学会(ICE※10))を設立した。同様の学会や協会は1848年にフランスで、1846年にドイツでまた1852年に米国で設立されている。これらが国際的な組織に組み込まれるまでには年月を要し、1913年にパリで開かれた国際博覧会を契機としてやっと国際的な協会、FIDIC※11)が設立される。はじめはフランス、ベルギー、デンマーク等の数カ国からの参加で始まったFIDICは2度の世界大戦を含む大きな歴史の流れの中で紆余曲折を繰り返すが、1948年に英国、1952年に米国の参加を得、欧米協会まで成長する。70年代には日本をはじめとして※12)アジア、アフリカ諸国の参加によって文字通り国際コンサルティング・エンジニア協会となる。FIDICの活動は多岐に亘るが、建設に関する各種の標準契約約款の発行はそのうちでもっとも重要な活動の一つである。
 標準契約約款のうち最もなじみの深いFIDIC Red Book※13)第一版は1955年にドラフトされ、1957年に正式に発行された。初版から1987年までに4版を重ね、1999年に全面的な改訂がなされて、New Red Book第一版として発行された※14)。1957年の初版はFIDICとヨーロッパ建設業協会との合意に基づいて刊行された。1969年にアジア・西太平洋国際建設業協会が、その参加建設業者が使用する契約条件書としてFIDICを承認した。FIDICは当時英国ですでに土木工事に適用されていたICE契約約款※15)をその基本としたと言われている。1971年に米国建設業協会と中南米建設業協会がRed Bookを支持することとなる。ここに至ってようやくFIDICは世界的に広く、特に国際的な建設工事に対する契約約款として知られるようになる。このころの1973年の調査によるとFIDICは50カ国で100以上のプロジェクトに使用されていた。しかし多くの発注者がFIDICに定められているエンジニアの権限を矮小化し、中立公正を欠くような変更をすることが多く、条件書におけるエンジニアの権限、立場の明確化が求められていた。第3版までは伝統的にエンジニアの中立公正性が暗黙の理解として明文化されていなかったが、FIDIC第4版では中立性(Impartiality)が明記されることとなった。
 第4版は10数年使用されてきたが、一方根本的な改革の検討が進んでいた。例外を除いて、プロジェクトの調査、基本設計、詳細設計、入札図書の準備、落札者の選考等を請負ったコンサルタントが、引き続き契約上のエンジニアとして発注者に雇われる。FIDIC初版以来理想としてきたエンジニアの中立公正な立場の確保は、契約条件を如何に厳しく設けようともこのような契約の構造から事実上果たしえないことを認め、DAB (Dispute Adjudication Board)をエンジニアの紛争解決機能の代わりに導入した。これによってFIDICの基本が変わったという意味を込めて1999年初版としたのであろう。

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※1)岩崎 脩:建築工事請負契約の研究、1987、改訂増補版、1993

※2)Royal Institute of Building Association, Standard Form of Building Contract 1903 Edition

※3)現在の「一般社団法人日本建築学会」

※4)現在の「一般社団法人日本建設業連合会」

※5)現在の「一般社団法人日本建築協会」

※6)現在の「公益社団法人日本建築家協会」

※7)学識経験者、建設工事の需要者及び建設業者である委員で構成され、建設工事の需要者及び建設業者である委員の数は同数とし、これらの委員の数が全委員数の3分の2以下とするよう規定されとぃる。

※8)公共工事標準請負契約約款の解説、建設業法研究会、改訂3版、大成出版社、1989

※9)筆者の注釈

※10)Institution of Civil Engineers

※11)Fédération International des Ingénieurs-Conseils (International Federation of Consulting Engineers)

※12)日本コンサルティング・エンジニア協会(Association of Japanese Consulting Engineers)が正式なNational Associationとして認められている。(2016年4月に海外コンサルティング企業協会(ECFA)と統合し、海外コンサルタンツ協会(ECFA)となる。)

※13)設計・施工分離発注に基づく

※14)FIDICと世銀などの多国間開発銀行(Multi-lateral Development Banks)はこのRed Book第一版を基に銀行間調和版(Harmonised Edition)を発行、JICAも現在これを用いている。

※15)General Conditions of Contract 4th edition 1955

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