飛行場計画技術研究会 小坂英治
けばけばしいタイトルをあげた。評論でなく、空港で糧を得ている人間として近頃の国内航空の行方には心底心配である。規模は違うが、江戸から明治の間の駕篭かき業、近くは、国鉄末期後の地方鉄道事業、現時点での地方バス事業、そして、羽田空港を中心とする全国ネットワークにぶら下っている地方空港事業も同じと見るべきか否か。
田舎に行こうキャンペーンポスターの絵になるイメージを探ると、野や山を走るかわいらしい鉄道を中心に据えている写真を多く見かける。この場合の鉄道は明らかに単線で、バスに毛がはえた程度の車両がひとつ、連結されていてもせいぜい2両、これ以上小型化が出来ないと云う雰囲気を漂わせ、のどかさが一杯である。地方空港も同様、生き残りを目指すならば、需要に見合う小型航空機の存在が避けられない。
今までのように、座席数が100以上で一日1~2便では利用者は利用したくとも利用できない。しかし、このような機材を使う航空事業が成立するかどうか。
長年の夢であった関西国際空港の建設予算が認められ、わが国の航空ネットワークの二眼レフ構造の西の目玉がこれで維持できることとなりほっとしたところで、第5次空港整備五箇年計画の策定作業が始まった。まずは計画の指標とする航空需要を予測しなければならない。推計するに当たって、羽田、伊丹両空港の空港制約の存在は明らかであり、もしこれらの制約が存在しないと仮定したら現状は、また未来はどうなるだろうかとあれこれ考え、制約下の実績値からだけでは真の予測値にならないとし、顕在需要と潜在需要の二本のグラフをひいた。 今考えると、これが正しいかどうか疑問ではあるが、当時は、羽田や伊丹の空港制約が解消すれば我が国の空港整備施策の全てが解決するはずとまで思っており、潜在需要を云うことによって、空港整備の遅れが半分は取り戻せたかのような気分になっていたように思う。
羽田空港は、昭和34年にジェット機定期便が初めて就航し、次いで、昭和45年には、ワイドボディ機が入り大量輸送時代を迎えたが、羽田空港の整備は遅遅と進まず、昭和46年8月、航空局は、「東京および大阪国際空港のふくそう緩和対策について」として、羽田における小型機の離発着を原則として廃止する指導通達を発行するまでになった。 またこれに連動して膨れかえる航空需要を吸収するため、空港整備の草創期に、プロペラ機であるYS-11を主力機として整備されてきた各地の地方空港が使用不能とならないよう滑走路を延長し、それが出来ないときは近接地に空港を移転する事業すなわち地方空港のジェット化・大型化事業を行い、地方空港路線が必要とする羽田空港の離発着枠を可能なかぎり減少する施策を我が国の空港整備の基調とした。 もともと需要レベルの低い地方空港にあっては、ジェット機はスピードと乗り心地に関してはプロペラ機よりも優れているかもしれないが、羽田の空港制約のため、頻度という本来のお客様サービスを犠牲にする方針を採らざるを得なかったのである。そしてすべての滑走路長をジェット用に延長する余分な投資を続けてきたのである。 この意味で、昭和46年頃から始まった羽田の沖合展開計画は、空港周辺の住民からの強い騒音批判をかわし、航空機騒音問題を抜本的に解消すると同時に、空港の処理能力の大幅アップを図ることで、永年の課題解決となるはずであった。しかし整備計画が確定出来たのは昭和58年に至ってあり、さらに本事業が完成するまでは、なお数年が必要であり、便数不足にあえぐ全ての地方空港は我慢し続けなければならなかった。 東京および大阪の二眼レフの目玉整備が完全になれば地方空港のありようは本来あるべき姿に戻るのだと皆が期待したのである。
この間の状態を表すものとして、近年、マスコミの記事に地方空港の数が過剰であるとの論評をしばしば見るが、地方空港の整備の実態は、離島の空港整備を除けば、プロペラー専用空港のリメイクばかりで、新規に完成したのは、平成3年に開港した庄内空港がやっとである。第5次五箇年計画(昭和61~平成2年度)、第6次五箇年計画(平成3~7年度)の間、マスコミは、「国の一県一空港事業」と揶揄したが、航空行政にはそのような気分は一切無かった。 このマスコミがこしらえたキャッチフレーズを国の政策であると信じ、この結果羽田空港の整備が遅れたと論じている学者も時に見受けることがある。云いかえれば、我が国では、大都市地域での空港作りは言い訳できないほど難しいと云えるかもしれない。
現在は競争社会と呼ばれる。競争させることによって、需給関係はすべて自然に解決し、需要者は最大の利益を得るとのことであるが、競争の相手を正しく選択しなければならない。国土の狭い日本にあっては、航空業界の真の競争相手は新幹線である。空港同士の競争に負けた福井空港(相手は小松空港)を除けば、鉄道の高速化の進展に従って破れた羽田路線は名古屋、新潟、仙台、さらには山形空港の苦戦と明らかな足取りが見られる。そのうち、伊丹空港も間もなくその仲間に入るだろう。
戦後、我が国のエアライン政策は民間航空事業者を育成するため、JALをつくり、ANAやJAS等を住み分けさせ、企業力の強化を図り競争力の醸成を待ち、徐々に規制をゆるめつつ、エアラインの自立性を高めようとしてきた。しかし、アメリカ流れの航空知識は競争の相手をエアライン間とし、一方、羽田一本やりの空港対策は小型航空機による定期事業を置き去りにしてきたため、主力エアラインが体力を失ったとき、低需要の地方空港が切り捨てられるのは理の当然と云えよう。遅ればせながら、最近現れた中小のエアラインを、主力エアラインの足を引っ張ることなく地方空港の担い手として育成する手立てはないものだろうか。
地方空港の救いの神である羽田空港の整備は、今や成田空港の整備の遅れを他人事に見てきた東京都民、神奈川東部住民の国際便乗り入れに対する大変な期待の対象に取って代わられつつある。 日本周辺の国々の経済発展と我が国経済の一体性を考えれば当然の流れとは云え、戦後、大陸との連携で北九州、瀬戸内海地域、神戸大阪、東京と流れていた経済の大動脈が、外地を失った敗戦とともに東京を中心とする同心円構造に移ったため、だからこそ、九州や四国の地方空港が発達したのであるが、かっての流れの上に乗っていた経由諸都市の経済活動が長らく疲弊から回復できなかったし、現在でもそれから脱却できない都市があるように、今や、羽田空港を唯一のハブとするハブ アンド ストローク構造に変りつつある全国航空ネットワークのストロークを外された地方空港は、東京中心の航空ネットワークの外に置かれ、自ら他空港とのネットを組むこともならず、事実上終焉を迎えなければならなくなるおそれが大きい。
ただ、空港計画論から云えば、羽田空港は世論で期待されているほど空港のキャパシティは大きいとは思われない。例え滑走路が一本増えても、空港能力は滑走路の数だけで決まるものではなく、極めて概括的に云えば、空港の面積、空港周辺の使える空の広さ、周辺の道路条件等で左右され、羽田空港はどれ一つとっても条件が良いとは云えないのである。だからこそ、地方空港の使用枠を絞り込むことの無いよう、地方空港の立場にも立って欲しいと思うのである。
世論に踊っている羽田空港への過剰期待が出来るだけ早く沈静化し、首都圏各地に点在する防衛省、米軍管理の諸飛行場全体の有効利用、さらには成田空港の確実な整備によって地域全体の空港キャパシティを増大させ、日本経済に支障が無いよう空港政策が進むことを願っている次第である。
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