[SCOPE] 財団法人 港湾空港建設技術サービスセンター

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コラム

第3回 値段と質、と予定価格    ~2007.2.23~

飛行場計画技術研究会 小坂英治

正札の価値

“メイド・イン・ジャパン”と書かれた品物を、今の若い人々の多くは、多分何のためらいも無く購入するだろう。しかし、60年代までを記憶している年齢の方々は、心のどこかに、先進諸国から蔑まれた「安かろう、悪かろう」の不愉快な記憶を一部残しているはずだ。 しかし、今思い起こせば、この言葉には不愉快さはあっても、片方に“今に見ておれ”というあきらめない気持ちの健康さが内在していたように思う。当時のものづくりに携わる人には、常に“質”への強い思い入れがあったと信じている。

社会に出て初めて関西に住むようになったとき、同僚と連れ立って買い物に行き、値段表が付いているにもかかわらず、連れが値下げ交渉をするのに、どうにも落ち着いていられなかった記憶がある。何か相手を侮辱しているような気がしたのだ。 子供時代、大した買い物をした経験もなく、高い値札のものは安いものより間違いなく価値があると信じていたせいである。少し高めのものが買えたときは何か誇らしげに感じたのである。値切りの交渉はこの単純な思いを根底から覆すものであった。 その後、関西のあちこちに住み、すっかり関西フアンになったが、最初の段階で、関西人は買い物を楽しむと教えられたこの値段交渉には最後まで親しむことができなかった。これは、関東と関西の文化の違いではなく、単に、最初に買い物に付き合った同僚の交渉趣味だったのかも知れないが、何故かその後、これが関東と関西の違いであると信じてしまった。 大人になって、商品の良し悪しを見極める能力を持てていれば、また違ったことになったかも知れないが、未だに質を見極める能力に欠け、正札信仰が捨てられないで居る。最近はやりの百円ショップをよく利用するが、これらは100円の効果しかないのだろうと最初から品定めしているのであり、その割り切りと安さに満足し、納得しているのである。

予定価格

ここ数年、公共事業批判が社会現象になり、正札販売(予定価格)が何故か国民を欺く目くらましのような論調が固定化してきた。筆者の子供体験による思想から言えば、予定価格は発注者が他の事例・経験からして、この値段であれば対価として支払っても損はないと判断した結果の正札であって、あとは質を守ってくれと言うものだと考えていた。 もし、質を少し落としても良いのであれば、発注者自らが予定価格を最初から下げておけば良いのである。一方、受注者は仕様書をきめ細かく分析し、その要求に厳密に対応する一方、もし、自らの技術開発によってコストセーブができればそれは儲けになるべきものと考えていた。ただし、次からは、その技術は予定価格の算定基礎になり、特許でもなければ儲けにならない。 つまり、発注者と受注者は価格について、予定価格の段階で、永久に技術競争をすることになり、健全なコスト競争が成立していると考えるのである。公務積算に携わったことがないまま今に至り、予定価格とはこのようなものだと考えていた。

最近のメディアによると何故か、予定価格の何たるかは話題にならず、予定価格に近すぎる落札は国民の損害であるかのような報道になっている。この論法ではダンピングは国民のまる得と評価されることになる。予定価格が正当であれば、ダンピングは、下請けの搾取でもない限り必ず質の低下に結びつく。発注者は厳格すぎる仕様の整備と余程のチェックシステムを用意しない限りこれは避けられない。 しかも、一般の公共事業は一品の注文生産であるから、その成果は何年も後に現れ、例えば、鉄筋量の少ない建築のような取り返しのつかない悲劇を生ずることになるのである。一般の公共事業の価格は本来正札販売が本道であって、質の競争が本命ではなかろうか。このためには、予定価格なるものを神聖なものとして評価する仕組みが必要である。 現制度を守るために、値段と質を同じ土俵の上で評価する仕組みを苦労して構築しようとしているのが現状であるが、やはり本質的に無理があり、卵を積み重ねるような不安定さは否定できないし、何よりもまず、我が国を公共事業で再び「安かろう、悪かろう」の時代に引き戻してはならない。 もし受注者が本気になって手抜き技術に血道をあげるようになってしまうと、発注者はどんなに金をかけても完全なチェックシステムはできるはずがない。先の建築の強度問題は、公共事業にとっても大きな教訓であったと思いたい。となれば、識者が言っているように、明治憲法より古い会計法の仕組みから直さなくてはならないことになる。世論の動向が社会的いじめの楽しみから未来の国づくりのための本質論に関心の向きを変えることを願って止まない。

やはり、公共事業のコスト問題は計画段階で

もし、予定価格なるものの価値が高まれば、工事段階でのコスト削減の程度はたかが知れてくる。10パーセントもの削減をしようとなると関係者は死ぬ思いをすることになろう。やはり、公共事業の最大のコスト削減効果は計画段階で発生させなければならない。我が国では、かつて、企画から施工まですべてが公務員の業務範囲であったが、いまや、ほとんどが民間の手に委ねられるようになってきた。 小さな政府の名のもとに最後に残るのは、企画の決定と予算および各種基準類の管理のみとなるのではないか。とすれば、国は従来自ら苦労して作り上げてきた知的行為の段階である企画・計画のあり様について、今の段階で充分投資、研究し、全体の新たな仕組みを組み立てて行かなくてはならないようだ。

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