[SCOPE] 財団法人 港湾空港建設技術サービスセンター

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コラム

第21回 追記 歴史の語り方   ~2008.1.24~

飛行場計画技術研究会 小坂英治

過去を語る資格

かの福沢諭吉が明治7年12月に出版した「学問のすすめ 十三編」の一節に、「故に後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定の内に入れて取捨せざるべからず。二千年前におこなわれたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行わんとする者は、共に事物の相場を断ずべからざる人なり。」(岩波文庫)とある。我が国の空港整備の現状は、かっては当局の反論が無いままに多くの面でマスコミ批判の餌食になっているところが多く、高々戦後半世紀に過ぎない間の歴史であるが、事実に基づく物事の推移を知ることが無駄な足踏みをすること無くこれからの空港整備を的確に進めるよすがとなると考え、雑文を思い着くままに書いてきたが、将にその場の当事者のご指摘もあり、確かに軽はずみな物言いもあったと考え、一部反省を加えながらの追記を試みることとした。

冒頭に触れた福沢諭吉の言葉は、古のすばらしい教えでさえ其の時代の背景に従うものであり、その背景も考慮することも無くそのまま現在に反映してはならないの意で、先輩のご指摘とは少しずれているかも知れないが、要は、歴史を語ろうとするときは、自らの体験を語るのは良いとしても、未経験の部分に触れる際はそれなりの配慮が前提であり、さもなくば共に話題を共有できないという教えとして受け止めている。

批判がどうあれ、我が国の空港全般が、成長の段階で様々急激な環境変化に晒されながら今日に至っているのであり、今多くの課題を抱えているのも事実であろう。このため、この後の対応に当たっては過去を正しく知ってその上への積み重ねが求められるのであり、惰性を排除することも避けてはならず、また物によっては大胆な変革も必要だあると考える。

 

思えば、無からのSTARTであった

戦後、連合軍に接収されていた飛行場がつぎつぎと返還される中、空港整備法が公布施行された昭和31年度の空港整備予算が約1億円規模に過ぎなかったと聞いて驚くより呆れてしまう。整備の対象として政令指定された空港が、第一種の東京国際空港以下、2種空港として稚内、高松、大村、熊本、鹿児島の5空港に過ぎなかったことを割り引いても、この予算で対応しなければならなかった当時の担当者の思いはどうだったのだろうか。空港が五箇年計画によって計画的に整備されるようになった10年余り後の昭和44年度予算に至って漸く整備規模が100億円を越えるが、この額にしても予算獲得の努力は並み大抵のことではなかっただろう。そしてこの翌年の空港整備特別会計法の制定に際しては、遅く現れた公共事業のハンデに加えて、航空機は未だ贅沢な乗り物であるとする認識から世論のバックアップも無く施設作り財源を確保しなければならなかったのは明らかで、奔走された方々のご苦労に今更ながら思いやるのである。こうして着陸料のアップや通行税の制度が生れたが、「国は、国民の血税を使って不要な空港整備をしている」という批判をその後聞くたびに、血税なるものをもっと使わせてもらいたいものだと思うことも再々であった。空港整備財源については、いわゆる真水と呼ぶ一般財源の恩恵は当初からあまりいただけなかったのである。昭和60年度予算要求の時、航空の利用者からやっと集めた目的税による特定財源でさえ、整備が軌道になかなか乗れない今で言う大都市圏空港の事業化の遅れによってみすみす一般会計に召し上げられていくのを見るのは大変辛いことであった。筆者が道路特会の最近の一般財源化の世論の主張を素直に聞けないのは其のときの名残である。施設整備が予算不足が原因でままならないため、多くの反対を押し切ってあれこれ努力の末に作りだされた受益者負担制度であるはずであると思うと、その努力の成果を、時代が移り一般会計が赤字だからと言って当然の如く大した議論無しにかすめとる行為は、やはり理屈では分っていても感情的には反発を感じるのである。勿論これは余談である。

航空機騒音と住民意識

航空機のジェット化とともに始まった航空機騒音対策の歴史は、社会問題にまでなり、今や空港の周辺住民にとって空港の立地や空港施設の拡充に反対するのが当然の権利であるかのように普遍化してきたような感があるが、近年漸くにして航空機の低騒音化が効果を出し、かっての凄まじいほどの騒音は無くなったと考えたいところである。しかし、かって話題になった空港の騒音被害者の意識は未だに消えることは無く、例えば羽田空港の騒音対策でBランを海側に移設させたり、空港施設全般を沖側移転させ、その跡地を空港から除外させることが地元対策の一環となったりしたが、問題が発生した昭和40年代初期の羽田空港の利用規模と現在では格段の差があり、将来の羽田空港への期待の大きさを考えれば土地が余るなど到底あり得ないのであるが、迷惑施設であったときのやり取りが記憶から消えるほどの過去ではなく、たとえ航空機騒音が小さくなったとしても、それ以前の決め事が消滅することは無いようだ。一事が万事、空港が空港周辺に与えるはずだとする空港の悪いイメージは今後も当分の間無くならないし、空港計画技術上の大きなテーマであり続けるようだ。

空港に限らず、大勢の土地提供者を相手にするプロジェクトは我が国特有の土地所有権の原理が働き、また時間を越えて公平でなくてはならないこともあって、時間がかかる土地買収は極めて困難を伴う。土地を追われるというだけで不幸とされてきた風土は、耕作されない農地が増えつつある現在でも変らないのであろうか。成田空港も今なら農業を続ける代替地は空港予定地外で容易に得られると思うが、やはり計画地内で農業を続けなくてはならないのだろうか。これもまた歴史の重みなのだろうか。

土地問題と騒音問題が重なってイメージされてきた空港立地計画の難しさは、今後新規プロジェクトは無いにしても、空港の活用と地域の発展を同時に考える新たな空港計画技術を開発させたいものである。

 

東京一極集中を支える羽田空港

道州制が叫ばれて随分時間が経つが、明治以来の中央集権化の流れを止める手立ては未だ一向に見えて来ない。長く身に付いた制度を変えるのは戦争のような大事件でも無い限り不可能なのかも知れないと思ってしまう。この東京一極化が進行する中で、首都圏内の国内航空需要を過去、現在、未来に亘って、一手に引き受ける羽田空港の健気さには頭が下がる思いである。今や、成田空港の機能の一部まで引き受けようとしている。航空需要地に接近している利点だけが目立つ羽田空港の立地条件をあれこれ考えると何かとんでもない錯覚があるのではないかと思えて仕方がない。

昭和31年、空港整備法が制定された当時、整備予算も少なかったが、空港利用者もわずかで、全国の国内空港需要も1000万人にみたない。航空局が五箇年計画に先立ち策定した長期ヴィジョンを見ても、昭和39年当時の羽田空港はオリンピック対策もあり、既にABC 3本の滑走路があり、整備の基本方針の第一に掲げられた羽田空港は、各施設のバランスある開発をめざすとなっており、滑走路としては新設計画は予定になく、Bランの2500mへの延長のみであった。しかし昭和44年になると頼りとされていた成田空港の遅れが明らかになり、翌年にはB-747の大型機の乗り入れが決まり、そのためのエプロン用地の必要性からAランを休止させとりあえず利用せざるを得なくなった。そしてさらに滑走路の容量不足対策として小型機の利用を規制することとなった。今日に至る羽田空港の混雑対策の始まりである。昭和45年になると羽田、伊丹両空港とも小型機を原則禁止し、騒音対策も兼ねて翌年には正式に羽田空港の沖合展開計画の策定作業が開始された。しかし時は環境庁が発足したことに見られるよう湾内の水質環境も極めて厳しい状態にあり、海面埋立が悪とされた時期と重なり、漸くにして東京都知事との間で計画がかたまり、工事に着工出来たのは遥かに下って昭和59年になってであった。国際線が成田空港に移転されてすら羽田空港の混雑は解消されず、地方空港のサービス向上のための小型機による頻度サービスはこの間話題にもされなかった。最近、マスコミが「行政は地方空港の整備ばかりやって、肝心の羽田空港の整備をさぼった」と批判するのを聞いたことがあるが、当時の関係者の苦しみを知らない話である。成田空港批判に見られるよう肝心のときにマスコミは無関心を決め込むものであり、東京中心主義をとるマスコミは地方の人々のために羽田空港があるということを肌身に感じないのであろう。とは言え、東京港の利用と競合し、かって既成市街地内の騒音工場の移転先として港湾計画がつくられた埋立地から空港の騒音が騒がれ、周辺の道路整備も遅れがちである羽田空港の将来ははつくづく大変な負担を負わされていると思う。

もうそろそろ東京港内の港湾利用と空港利用の選択に手を付けねばならない時期に来たようだ。

 

地方空港存続の危機

羽田空港や成田空港の整備の遅れも原因の一つと考えられるが、我が国における小型航空機による公共輸送事業の未発達状態は今後の地方空港の健全な発達のための大きな制約条件になろうとしている。

近年、しにせの航空事業者に対抗して新規の事業者がわずかに立ち上げられているが、いずれも規模が小さく、しかも地方空港の小さな需要を対象とするような小型機サービスを売りにするような事業者ではない。全国の地方の自治体は連携してでも小型機事業者を立ち上げ育成してもらいたいものである。地方における航空交通存続の要ではないだろうか。さもないと、既成の航空事業者は過去の経営を引きずっており、経営の苦しさからロットの小さな航空需要の空港からの撤退を考えるのは大いにあり得る。企業が存続の危機に陥れば公共輸送の大義名分等は何のツッパリにもならない。近年の燃料の暴騰等から十分予想されるのである。

地方空港のハード整備が一巡した後、空港周辺の地域づくりから航空事業者の経営まで含む総合的空港計画技術論が求められているのが現在であろうか。空港計画技術も惰性に陥ってはならないとつくづく思うのである。

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