[SCOPE] 財団法人 港湾空港建設技術サービスセンター

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コラム

第12回 空港経営   ~2007.7.17~

飛行場計画技術研究会 小坂英治

空港の収支について

「空港の経営は、都市を経営する市長の仕事に似ている。」とは昔から聞く例えである。 我が国の国が設置する空港の実態を眺めると、市長と同じ立場と言えるほどの全体を掌握する業務を行っているとはとても思えない。「空港内の都市に例えられるほどに多様な施設群、その繋がり、諸々のルール、そして空港内を行き来する人々すなわち空港利用者、空港内労働者これらが一体となり、他空港との連携を高めることにより自らの空港が活性化するよう努力し、さらに空港周辺住民との良好な関係を作り、空港の円滑な運営を目指す。」これが空港経営者の仕事と言われても、ぽっと出の空港長のなせる業ではとてもないし、空港長を取り巻く組織体制もそのようには出来てはいない。 だいたい、国が管理する主要空港では、空港サービスの大部分を占める旅客ターミナルや貨物ターミナルの建設は全て他人任せとなっている。ましてや運営もしていない。そもそも、つい先日(平成16年6月)まで、空港が存在する用地は国有財産法に云う行政財産であって、大蔵省の訓令(いわゆる蔵管第1号、「国の庁舎等の使用又は収益を許可する場合の取り扱いについて」)によってその用地の上で行うことができる行為は、「その用途又は目的を妨げない限度」とする範囲が個別的に列挙され、使用を許可できるケースが限定的に整理されていた。 空港の場合は、給油施設や航空機整備工場のように、当該施設の設置を認めなければ国の施設の機能又は効用が発揮できない場合のみとなっていた。これから見ても、今、マスコミがわめき散らしている「日本の空港は赤字ばかり」とする非難は現実離れしており、今急に犯罪者扱いするとは何事だと言いたい。公共施設であっても、運営費まで税金頼りにするなと言うことは全く正しいと思うし、否定する理屈は何もないが、物事の改変には手順が必要である。

羽田ターミナルの誕生とターミナル経営

秋山 龍氏が30年前に書かれた羽田空港ターミナル誕生の思い出の文章を読んだことがある。それは昭和25年に氏がニューヨークポートオーソリティを訪問したことから始まる。案内者いわく、「ニューヨーク市は早くから飛行場を作って公衆の用に供したが、経営が赤字で負担に耐えぬので、オーソリティへ引き渡したいと言うので、オーソリティは一年前に引き受けた。・・・・赤字のものを引き受けては困るのであるが、市のやり方を見ていて、やり方如何では必ず黒字に出来ると思って引き受けたのだが、果たしてやってみると、ここにもあそこにもと、収益の源になるようなスペースがあるんだ、・・・」。 氏は、この記憶を頭のどこか片隅に残し、昭和28年退職されて定職が無いとき、時の運輸大臣から、「サンフランシスコ条約の調印も出来、航空自主権も帰ってきたので、日本の空も忙しくせねばならず、忙しくなるであろうが、羽田の現在のターミナルではどうにもならぬ。しかしこれを近代化するための資金は、戦後復興のために国の財政は逼迫を極めており、到底必要な金は出せない、何とか民間資金で、独立採算的にこれを作ることはできないだろうか」と相談を受け、その後の氏の行動によって、今日の純民間による羽田空港の見事なターミナルに繋がってくるのである。 現在はこのターミナル以外、我が国には完全な民営のターミナル事業者はいない。原則第三セクター方式で行われている。羽田空港のターミナル事業は、先に述べた国有財産法の異常なまでの規制の下でも非航空収入で立派に運営されてきたのである。

成田空港や関西空港は当初から特殊法人が設立され、今はともに株式会社であり、空港全体の経営を行っているが、着陸料が高いので有名であるにしても非航空収入でも頑張っており、ターミナル1㎡当たりの小売り収入額は世界でもトップクラスと言われている。それでもとくに関西空港が経営に苦労している最大の理由は、ひとえに用地造成費が高過ぎることであり、またかって我が国を代表する経済の拠点地であった関西地域が、我が国の国土経営が東京を中心とする一極構造化の中で単なる地方経済都市に転落しつつあることと、未だそれから立ち直るような見通しが得られていないことである。

関空の事業主体要求

我が国の二眼レフ航空ネットワーク構造の西の核となっていた大阪国際空港が、地元から追い出しを食い、全ての自治体から移転立地を断られた新空港が漸く根を下ろせたのが泉州沖5kmの海上であり、辛うじて財政当局の了解を得ることができたのが調査から15年近く経た1984年度予算であった。財政当局も巨大プロジェクトであることを意識し、建設費を出来るだけ抑えたいとの考えから、善意であったにしろ大変利用しづらい滑走路一本だけを認める計画でのキックオフであった。全体計画を表に出さない一期計画のまずさについては前に触れた(第4回)が、1984年度予算要求の8月案はいわゆる上下分離の二つの事業主体によるプロジェクト要求であった。 すなわち建設費の大部分を占める下物である用地造成事業は新設公団に依ることとし、上物である空港施設は第三セクターが公団から用地を借用して建設し、空港運営をする二段方式であった。予算要求書を受け取った大蔵省は過去に経験の無い巨大海上埋立工事の収支を疑い、二つの事業者のうち公団だけが負債を限りなく持つことを恐れて一つの株式会社が経営することを提案し、運輸省は予算要求書の組み換えを行ったが、当時から15年の歳月を経て、会社経営の難しさは大蔵省が予想したとおりであったが、非航空収入における経営努力はまずまずのものと言って良いのではなかろうか。

ただ繰り返すことになるが、当初全体計画がないがしろにされたため、当空港は今後とも拡張のたび毎に、余分なコスト増に付きまとわれることを覚悟しなければならない。

新時代を担う第三種空港

第3種空港はもともと地方自治体が空港管制以外空港全てに責任を持つ空港である。残念ながら国の空港のマネをして、ターミナル部分の経営を第三セクターに委ね、本来の空港全体の経営ができるはずであるのに実質上下分離の経営がなされている。しかも大半が需要が小さいというところで最初から空港全体の経営を諦めた感を拭いきれない。用地は国有財産と異なり、可笑しな規制は無いのであるから、せめてカーブサイドの有効利用について、地域の行政機関と一体運用を図る等教科書にある空港のイメージを外すぐらいのバイタリティを望むものである。 最近空港の収支についてマスコミがいろいろな論評を加えているが、赤字に甘えることがあってはならないが、いわゆる請願空港のもととなった空港成立のための関連道路整備等自治体が投じた投資全体を無駄にしないための意識を忘れないようにして貰いたいものである。ここには、流行の空港の民営化論をはるかに超える経営論がなくてはならない。いたずらに実体のない民営化論に踊らされないようにしたい。

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