[SCOPE] 財団法人 港湾空港建設技術サービスセンター

  • Googleロゴ

    

コラム

第10回 技術の継承    ~2007.6.20~

飛行場計画技術研究会 小坂英治

技術屋とは何か

技術屋は理科系で専門とする分野を持っている。技術屋は専門職で総合職ではないのか。総合職は専門性を持たなくても良いのか。

今の子供たちは概して理科系の学科があまり好きでないと言う。信じられないことだ。過去を振り返るようになってはもう終わりだそうだが、自分に関するかぎり、子供の時から将来理科系の人生しか考えたことはない。理科系以外は何となく軽々しく、胡散臭いものに感じてきた。相当な偏見を持って成長したように思う。多分、幼少期にたまたま読んだ伝記物語の類の主人公に理科系が多かったのだろう。 戦後はやった子供向け伝記物語は今思うと概して理科系の偉人のお話が多かったのではないかと想像している。第一、政治家や哲学者では子供には理解できないだろう。いや、そうではなく本当は単にお腹をすかした幼児体験が'ものづくり'を志向させたのかも知れない。

物ごころが付く頃からは嗜好が定着し、就職してからは選択する余地は既に無いにしても、相も変わらず技術職でいることに何故か誇りを持っており、技術屋の仕事こそ正統派だと思い込んできた。無理やり理由を考えれば。常に昨日より今日、今日より明日と着実に前に進むのが正しい人間の所作であり、その際、物事の判断に当たっては、'公理'や'定理'に基づく自らの判断によって行うのが技術屋であり、技術屋以外は他人が勝手に決めた胡散臭い物に縛られながら、ことの是非を問わねばならない悲しい種族だと考えたようだ。 従って、仕事の進め方も技術屋なりに事実を把握し、その上に、一歩一歩積上げる単純なものが良いと考えた。複雑な世の現実を見れば、実に単純な思考法であり、他人の参考になるものは何もないが終わったことで致し方ない。

最近の日本社会の風潮である、専門家の徹底した議論を表に出さずに何かにつれて'有識者会議'とか'第三者機関'とか、特定の人たちの判断を専門的追及の前に優先させようとする傾向がみられるが、これは一体何だろうか。

このようなやり方を歴史の中に探すと、古代国家に見られる、'呪術者会'あるいは、'占い社会'そのものである。事実の把握よりも'ご託宣'を重んずる非科学社会である。このような思考方法を技術屋は決して採らないし、採ればそれは技術屋ではない。

技術の継承

一時「技術立国」と言う言葉を良く聞いた。資源の無い日本の将来は技術が支えると誰しもが唱えた。WEBをのぞいて見ると、「エンジニア」を解説し、「製造業による「ものづくり」で、経済大国になった日本では、1960年代から80年代にかけて、エンジニアの存在は経済を発展させ、社会を豊かにする原動力だった。」といとも平明に述べている。最近、日本政府はあまり「技術立国」を言わなくなったようだ。 官庁内でかって景気を支えた公共事業に携わる技術屋は、談合問題とともに顔が見えない存在になった感があり、また民間の技術も「とよた」を除けば全て化け物のような「金融・ファンド」のもとに飲み込まれようとしているかに見える。最近の子供たちは将来をどのように夢みるのだろうか。運動選手ですら金の餌食になっている。一番悪いのは、談合問題騒ぎもファンドがリードする経済活動もともに明日を夢見る基準の何物も其の中に含んでいないことだ。これらの中からは将来絶対に伝記物語の主人公は出てこないと断言できる。

このような時、技術屋は何をすべきだろうか。考えて欲しい。過去の日本を経済大国に押し上げたと言われるエンジニアに代わって、再び日本を発展させる原動力になり得るものは到底存在しない。「技術立国」なるモットーを政府が宣言しようとしまいと他に代るものを見つけようが無い。民間の技術者と異なり、官庁の技術屋の役目は日本の技術全体の行方をリードすることだ。誰がその部分を担うかも含め、大風呂敷を広げて欲しい。昔と異なり、自らが全てに関与することは出来ない。道筋をつけるのが仕事だと思う。技術の開発・継承について新たな道筋をつける存在感を期待したい。

法制度の立て直し

航空法体系は、空港整備法も含めて実態と合わなくなっており、全面的に見直しが必要であるのは周知の事実である。昭和27年から30年代にかけて大方の諸制度が整備され今日に至っている。聞くところによると、今、これらの見直し作業が俎上に上がろうとしているそうだ。関係する現役の技術屋は、我が国の将来に亘る航空、空港の世界を規定することになる大きな枠組みつくりに携わる名誉と責任を持つことになる。現役の方々に大いに期待しなければならない。

どんな法制度であれ、時間が経てばほころびが目立つようになるのは避けられないが、体系の基本となる骨格だけは相当長期に維持でき、しかも柔軟性があるものにして欲しい。

現行の航空法の最も良くないのは、技術の進歩の存在を無視して法律に何でもかんでも、数値までも書き込み、限りなく重くしたことである。政省令その他訓令全てがかたち良く収まっている姿が大切だと思う。

今、談合問題を社会問題にまで引き上げている我が国の調達方式を規定する「会計法」は明治22年に出来たが、我が国に未だ電灯をともす電気が通じたのは明治23年であり、それ以前に出来た法制度が、法の精神まで含めてとても現代の複雑な社会に機能しているとは思えない。会計法は「技術立国」を支えることでは根本的に未熟であり、だからこそ、我が国の「技術立国論」までも揺るがしかねない大騒ぎの元凶を演じてしまったのである。新たな法制度づくりは、このような先例までも参考にしなければならないとするならば、身の引き締まる大作業ではないか。

ページの先頭へ戻る

ページTOPへ